naruhodo (茶房・たかはし) blog

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2012年 02月 22日

市民美術展

f0065847_16483675.jpg芸術ホールで開催されている「第12回はこだて・冬・アート展」に行って来ました。
お店の常連さんが出展した作品が「はこだて・冬・アート賞」をとったんです。
他にも良い作品が展示されておりました(ジャンルは様々でした)
2枚目の黒いスツールが常連さんの作品です。

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by naruhodoo | 2012-02-22 16:51 | イベント | Comments(5)
2012年 02月 16日

序ー真理とは何か 2

世の中の偏狭さの殆んどは真理についての誤った考え方のために起こるのである。同じ教室の中で少しばかりの知恵によって自分たちが、それぞれ紙一重の差があることが分かると、人々は真理についての各自の考えを主張して必死になって争い合う。しかし個人的な知能のいずれも理解力でごくわずかな差があるという事実のために、各人にとっての真理はごくわずかな差があるのだ。偏狭さは無知の特徴である。なぜなら発達した知性ある人は活動の連続を見るときに分離した各活動が相関的に事実であることを悟るからである。そして1つの問題のあらゆる面を理解するので本人は何物にも束縛されない。このタイプの知性は真理全体の中の1つの局面だけを見る人を非難しない。むしろその人が持っている考え方に付属する落とし穴または限界を指摘するのである。

 真理とは活動である。…各部分が真実であるところの活動全体なのだ。もろもろの小さな真理は大きな真理となる。そしてニセモノとして捨てられる1つの小さな真理が、過去の歴史に示されるように、文明の発達を妨げる事にもなるのである。
 人間は真理の意味を理解せず、それゆえに偏狭であるために、これまでに一千年以上の科学的な暗黒の期間があった。緩慢に進歩する文明を、もっと高度な人間的表現に引き上げることが出来たかもしれない暗黒の期間があったのだ。
 「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にするだろう」真理とは万物が真実であるということなのだ。それは相対的な意味において真実なのであって、しかもこれは他のすべての物にたいして相対的という意味である。しかし人間があらゆる活動の”因”を認めてそれに十分な考慮を払わないかぎり、決して自由にはなれない。人間の努力を結合させて共通の目的を認めてこそ、人間は文明を理解と進歩との一体化した状態にすることができるのである。
 真理とはいわば大きなはめ絵パズルのようなものである。そして各人の個人としての表現は全体を構成するための一部分である。成熟した人は人生とは遂行しなければならない義務の連続であるということに気づく。人生について異なったさまざまな概念があるからといって一人だけが正しいことにはならない。いや、すべては真実なのだ。人間の心の中に抱かれる考えが何であっても、さしあたってそれは本人にとっては真理である。それはちょうど自然のあらゆる活動が創造的であっても崩壊的あっても真実であるのと同様である。他の真理(複数)に関連して人間の考えを建設的に用いるための十分な知識を持たないためにその考えは愚かしく利用されるかもしれないが、だからといってその結果が犯罪行為になるというわけではない。
 それゆえ、この世における人間の目的は真実なるものと真実ならざるものとを個人的に判断する事ではなくて、われわれが”原因と結果”の知識と一体化することができるように、われわれ自身を大自然と同位に置くことにあるのである。
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by naruhodoo | 2012-02-16 23:14 | その他 | Comments(0)
2012年 02月 15日

序ー真理とは何か 1

 政治上の各党派は自己の意見の正しさを主張して互いにやかましく騒ぎ合っている。哲学者や科学者は自分たちのさまざまの説が正しいかどうかについて議論をしている。そして互いに相容れない思想の中心人物(複数)が世界中に台頭しつつあり、そのおのおのが自分こそ絶対的な真理の唯一の伝え手であると公言するために、人間は一体何が真理なのかと迷っているのである。
 人間が存在してきた限り、どうやら人間は真理をしっかりと握っていたにもかかわらず、それに気づくことなしに、それを求めてきたようである。
 むかしローマ帝国がその栄光の極に達して、その支配の重圧が多くの人々にのしかかっていた当時、そのさなかに一人の大師がしいたげられた人々に告げた。「あなたがたは真理を知るだろう、そして真理はあなたがたを自由にするであろう」そこで救いを求める人々は叫んだ。
 「真理!自由になるための真理を与えよ!」人々は真理の意味を聞かされたが理解することは出来なかった。そして現在も我々はそのような言葉の反響、または「真理!真理とは何か?」と強く訴えながら長いあいだ身を震わせてきた無数の人々の声のこだまを聞いている。
 そしてこのような探究の声のいずれにたいしても別な応答の声がある。「われに従え。わが語る言葉こそ真理なり!」と。それで人々は盲目的にそれに従うけれども、生命の目的をほとんど知りもしなければ理解もしない。
 そこで現代のあなたがたにー多くの物事について深い知識を獲得してこられたあなたがたに質問しよう。「真理とは何か?」と。
 理想主義的な傾向の人は次のように答えるだろう。「それは実在性だ」また非情な科学的な基礎の上に立っている人は「事実」だと答えるだろう。あるいは、真理とは虚偽の反対であるものか、または善なるものだと言う人もあるだろう。はじめの二つの回答をした人に対しては、あなたがそう考えてきた限りではあなたは正しいと申し上げよう。しかし私はあなた自身で織った網であなたを捕らえ続けよう。真理とは善なるものだと言うあとの答えは完全な考え違いであり、言い逃れである。

 そこでひとつ本当の分析にとりかかる事にしよう。真理とは一体何だろうか。あなたはそれを”実在性”だと言った。それで私が実在性を定義していただきたいとお願いすれば、をれは実際に存在するものだと言わねばならなくなるだろう。しかしあなたは実在と非実在とを語っている。あなたは”実在”に対する一定の基準を持っている。知られている物すべては外見上存在していないというのか?とするとどうしてそれが知られるようになったのだろう?

 真理とは事実だという人はどうだろう。その人は、それは証明され得るものだとなおも説明する。そこで次のようにお尋ねしよう。「だれに対して、そして何によって、しかもどれくらいのあいだ証明されたのか?」と。ここでもその人は一定の区別の基準を持っているにちがいない。それは世の中で認められてきた人間の作った法則か学説によって証明されねばならないのか。それなら真理に限界を設けていることになる。それは万人に証明されねばならないというのか。それとも同胞の知覚力以上に物を見ることのできる人だけに証明されればよいというのか。証明というものは人間が認める限りにおいて役立つだけである。そして各人にとっての真理は心の実感によるかまたは物質的表現によるかして本人が体験したものにすぎないのだ。
しかるに真理は普遍的なものである。それは活動の総計なのである。全宇宙の最小の振動のいずれも真理であるーそれは活動を永続させるがゆえに真実なのである。私は私の言葉のすべてを完全に筋道の立った実際的な基礎の上に置くつもりだ。

パート2に続く…
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by naruhodoo | 2012-02-15 22:12 | その他 | Comments(0)
2012年 02月 15日

宇宙哲学 

またまたご無沙汰してしまい御免なさい!
今年の冬はとっても厳しい冬になってしまい、写真を撮る余裕が余り無く
路線を暫く変更して「宇宙哲学」(ジョージ・アダムスキー著)と言う本を紹介しようかと思い立ちました。
そうあのアダムスキー型UFOのアダムスキーです。
あっ別に宇宙人は出て来ませんのでご心配なく(笑)
翻訳が少々古いので、文章の感じが少し硬いかもしれませんが、あしからず…

はじめに(宇宙哲学の定義)

 哲学とは知恵を愛することであると定義されてきた。それは人生観に応用される原理についての系統的な一般的概念であり、また心と物質の両面にわたるあらゆる現象の原因に関する知識でもある。

 宇宙哲学は、本質的に完全な整然と調和した1つの組織体と考えられる宇宙を包括するものである。
 心と物質に対する我々の現在の知覚力は、絶えず学習が行われる教室のなかで我々の住む場所を理解してそこに着席するために、”因”の領域にまで拡げられなければならない。
 観察は我々の最上の教師であるが、”因”を、または万物が相互に関連し合った目的を見ることを我々は学ぶ必要がある。
原理すなわち本源なるものと自然の諸法則は永遠に同じままにある。それらは不変であるからだ。法則にたいする人間の概念は、宇宙に関して人間の目的を知ろうとすればするほど拡がっていくのである。

 この太陽系内の姉妹惑星群に住む隣人たちは、宇宙のすべての最も微小な物といえども他のあらゆる物と相互関係を持つ事をずっとむかし知ったのである。ゆえに生命の目的をほんのわずかでも知覚するためには、あらゆる現象が”全体”と関連して探究されなければならない。
彼ら隣人たちは興味をもつ人の全てに1つの理論を伝えた。そして人々が深く探求するにつれて次第に諸理論は事実へと発展し、あらゆる生命を一体化させるのである。生物のいずれにも表現されている”すべてを知る英知者”にたいするへりくだった尊敬の念と愛は、彼らの天来の思想となった。各自の神性の個人的表現をうながすために、人間関係と実行主義が彼らの子供たちに教えられたのである。

 あなたの知識にたいする探求の飛石として役立つことを願いながら、私はひざまずいて次の各レッスンを捧げるものである。
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by naruhodoo | 2012-02-15 21:01 | その他 | Comments(1)